好きなことを追求できる時期だからこそ(2)【25回生 高橋史生先輩インタビュー】

押忍!

三高51回生、第49代應援團長の皇月ノエルです(*^-^*)

 



はじめましての方は、下のリンクから皇月ノエルの自己紹介をお読みいただけます♪
1、皇月ノエルになるまで
2、皇月ノエルの恋愛遍歴
3、三高のきっかけいろいろ



また、外部サイトで個人のブログも更新中です! そちらも見て頂けると嬉しいです。

Endless Magic∞ スピリチュアル作家 皇月ノエルのブログ

ありのまま恋愛應援團長 皇月ノエル



 
 
 
 
 
 
 
昨日から連載しております、

勝手に出張! 社会人出前講義
 
 
 
 
本日の記事では、高橋先輩に三高時代の思い出などをうかがいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【三高の思い出】

皇月ノエル(以下、文字紫):高校の頃は、どの部活をやっておられたんですか?

 

 

 

 

高橋史生先輩(以下、文字深緑):
一応、1年間だけラグビー部。俺は大体、人に流されて入るんだ。

 

 

中学の頃はサッカーやってたんですよ。
キャプテン翼がすごい流行ってた頃で、友達が
「ちょっとサッカーやりたくね?」っていうのにつられて。
だから、すごい不真面目な部員だったよ。

 

 

普通みんな、自主練するじゃないですか。
1年の頃は「走れー!」ってずっと走らされて、先輩が練習している間も球拾いとか声出しで。

 

 

でも、普通はそれ終わったらみんな「ちょっとリフティングするか」ってなるんだけど……。


リフティングはねえ、一桁台。できない! やる気もない(笑)。


……っていう中学時代で、高校に入ってからは、先輩の勧誘に乗せられてラグビー部に。

 

 

「ラグビーも同じフットボールだし、やってみるか」っていう、本当に軽い気持ちだったんだけど、
これがサッカーよりも大変だってことに気づき。


ああ、こりゃ駄目だ。



だから1年で「すいません、辞めます」ってやめた。

 

 

 

そこからは映画ばっかり観てました。


学校終わったらすぐ自転車で町に行って、小さな「シネアート」っていう映画館に行って。


この頃から、演劇とか映画とか、作品を作ることに多少の興味はあったんだろうな。

 

 

 

うちの両親も、「昔は演劇やっててさ」とかって言うんだよ。やっぱり血なのかな!? って思ったことはありますね。

 

 

 

 

 

三高の思い出や印象的なことなどありますか?

 

 

 

 

 

まず、毎日よくあの距離を自転車で通ってたなぁと思うね。

自転車で飛ばして30分くらいかかってたから。雨の中風の中。

 

 

 

 

 

三高は、坂が多いですからね(;´∀`)

 

 

 

 

 

そうそうそう。



あとはね、変な友達がけっこういたよな。




同じクラスに、高校生なのに雀荘に入り浸ってる奴がいて。

そいつがね、面白い奴だったなってたまに思い出す。

 

 

そいつ、普段休みがちなんだけど、
試験前とかにはさすがに学校来るじゃない? 



試験範囲を聞かれるから教えたら、
「おお、そうかぁー。……よし、ヤマかける!」とかって言ってね。

 

 

でも、そこはギャンブラーの勘。けっこう当てるんだよね。

 

 

 

 

 

あとはね、ラグビー部やめたは良いんだけど、どこかの部活には入らなきゃいけない。



「一番楽そうなところ……ほぼ活動してない文芸部!」



と思って、文芸部に入ったんです。

 

 

 

そして文化会館(※旧校舎時代の、文化部の部室が集まった建物)に文芸部の部室を探しに行ったら、

文芸部の部室はよく分からなかったんだけど、一角だけ、誰も使ってないすごい汚い部屋があったんですよ。

 

 

「これ、掃除したら使わせてもらえるんじゃないかな」と思って、一人で頑張って掃除した。


「ここを綺麗にして俺の居場所にしよう」って思ってね。

 

 

 

頑張って、けっこうぴかぴかになった頃

「ここ、○○部のだから」って、


綺麗になってから! 他の部の奴が入ってきて、俺は

「コノヤロー!ヽ(`Д´)ノ」って思ったよ。

 

 

 

 

それは悔しいですよね(;^_^A

 

 

 

 

 

悔しかったね~。俺が2日3日かけて綺麗にしたんだぞ! って思いながら。

そういうのは覚えてるな。

 

 

 

 

 

その頃から、三高は何かしら部活に入らなきゃいけなかったんですか?

 

 

 

 

 

三高はやっぱりほら、文武両道だから。何かやれ、みたいなのが決まりでしたね。

 

 

 

 

 

今も昔も伝統は変わりませんね。

 

 

 

 

 

うん。それはね。

でも、校舎は建て替わっちゃったからね。

時々ここ(※あきは書館)の仕事とかで、三高に届け物とかするんですよ。すると

「こんなきれいになっちゃって……Σ(´∀`;)」

「女の子いる!」

もう、びっくり。

俺のころは男子校だったので、女っ気はまったくない。




三高にいってまず失敗したと思ったのは、

「3年間女の子いないんだ!」

って気づいた時かな。




先に気づけよっ! って感じなんだけど……。そこはショックだったね。

 

 

 

 

 

高橋先輩が三高を目指したきっかけなどはありますか?

 

 

 

 

 

中学校の頃は、「将来どうしよう……」


っていうのが漠然と。

 

 

 

映画が好きだったから、映画に携わる仕事

――脚本家とか、映画監督――とか、そういうのになれたらいいな、
みたいな、漠然とした夢はありましたけど、「じゃあ、具体的にどうする?」って時に考えたの。

 

 

「早稲田って、マスコミ関係強いよな」

 

「早稲田に入るか。そのためには進学校だよな」

 

「進学校でも、俺の成績じゃ二高はキツいな」

 

「……三高?」


みたいな(笑)。すごい消極的で、テキトー。

 

 

先生にも「二高はかなり頑張らないと難しいよ」って言われたから、

「じゃあ、本当に三高か」と。

 

 

やっぱり三高って、自由な校風っていうイメージがあるじゃないですか?

それを考えた時に、「三高もいいかもしれないな」と思ったのがきっかけ。

 

 

入ってみたら、本当にみんなが好き勝手なことやってたから、
そういう意味では「自由な校風」だったなって思うよ。

 

 

うちらの頃は、「3年間、好きにしろや」っていう感じだったな。

 

勉強するもよし、何か他のことをするのも良し。自分の責任でね。

 

 

だからある種、大学を前倒しでやっているような感じ。

 

そういうわけで、俺も学校からぴゅーんと帰って、映画行っちゃう感じだったし。

そういう意味では、好き勝手やらしてくれたな、よく卒業させてくれたなー。

かなり成績悪かったんでね。勉強してなかったもん、全然。

 

 

 

 

 

……それで先輩、大学は早稲田へ?

 

 

 

 

 

……と、思うでしょ? ここまでいったんだから?

 

 

結局、3年間勉強せずに映画ばかり観てたから、
いざ受験だよって時に、勉強はしたんだけど


「これ、無理だよな」って自分で分かった。

 

しかもその頃に劇団に出会ったから、


「無理して東京行かなくても良いのかな。でも勉強するか……」


ってふらふら考えてた時もあって。

 

 

 

最初の受験の年は「どう考えても無理だよな」って思いながら親を……

「騙して」って言っちゃ悪いけど、早稲田を受けに行ったんだ。

 

 

試験会場について、名前書いて、「んー。さっぱり分からん」ってなって(笑)。

 

 

 

ただちょうどその日ね。


紀伊国屋ホールってところで、早稲田の演劇研究会が母体の、「第三舞台」っていう劇団が公演をしてたの。

 

 

それを知って、受験もそこそこに当日券を買って、観て、衝撃を受けて。

「演劇おもしれえわやっぱり」


結局、さらに演劇熱を増して帰ってきちゃったんだよね。

 

 

 

で、結局2年目も
「浪人します、勉強します」って親には言ったものの、予備校にはあんまり通わず。

 

今思えば、予備校の費用だって5、60万とかのすごい金額なのにさ。
ほんとう今では「ごめんなさい!」と思うんだけど、
当時は

「予備校行ってくるね!」って言って、映画を観て、そのまま劇団で稽古して帰るっていう生活。

 

 

そんなことをやってたので、
さすがに「2浪させてくれ」とは口がさけても言えないなと思って、


「実は、演劇やりたいんだ。大学にはいかないよ」って打ち明けた。


親はかなり落胆したと思うんですけど……そのあとは今まで、ずっと演劇ですね。

 

 

 

 

こうやって語るとかなり馬鹿なことしてるよね(笑)。

 

 

 

 

 

私はこういう話、好きですよ。在学中にこういう先輩に出会っていたら。

 

 

 

 

 

いや、それもどうかと思うぞ! 特殊だよ!?

 

 

 

 

 

 

いや、私も大学行ってない人なので。

あ、あと。面白かった先生とかっていますか?

 

 

 

 

 

変わった先生多かったからね、三高!

印象に残ってるのはね、やたら厳しい先生。

 

 

厳しいというか

「俺の授業を聞かねえ奴は許さねえ、ノートとれこの野郎!」みたいな人。理科系だったな。

 

 

その人は、最初から

「俺の授業は、きちんとノートをとること。
俺も必死に黒板に書くから、お前らはきちんとノートをとれ。
取らなかったらただじゃおかねえ」っていう人で。

 

 

とか言われても、返事だけしてぼやーっとしてたりするじゃないですか。

 

 

一番怖かったのはね、俺の隣の奴が居眠りしてたの。

そうしたら、その先生がツカツカツカって歩いて来て、机ガンッ! って蹴って、そいつの側で声を荒げるでもなく

 

 

「寝てたのか? ノートどうしたんだ」

 

 

って言って。



寝てたやつは「す、すいません……」って小さくなる。もうすっごい怖かった。

 

 

 

 

 

あとね、当時のOBとかに言うと全員分かると思うけど、

「UFO大好き先生」がいて。これも理系の先生。

 

 

その人は、UFO大好きで、授業しててもさ、生徒も分かってるから

「先生、UFOの話してくださいよ」って話振っちゃうんだよね!

 

 

そうすると、板書の手を止めて

「……そうか?( ̄▽ ̄)」って言って、

 

 

「UFOっつうのはなぁ。どこどこで写真を撮られて、これがどうの」とか

 

「連れ去られた奴がいてどうのこうの」とか、こんこんと話しはじめちゃって。

 

 

俺たちはフムフムって話を聞きながら、「また授業吹っ飛んだ」って思ってたりとか。

そういう先生だね。

 

 

 

 

あとは柔道担当の先生かな。

体育の先生で、特にどうってことはないんだけど、柔道やってると「受け身!」とかって言うじゃない。

 

 

声が必ず裏返るんだよね。

 

「前回り受け↑身ぃ~!」

それ真似して遊んでたりとか。

「裏返るよなぁ、あの先生」とかって。

そんな感じで変わってた先生はいろいろいらっしゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中編【三高の思い出編】は以上です。

 

次の記事では、高橋先輩から現役生たちへのアドバイス&メッセージをいただいています。
下のリンクから、次の記事を簡単にご覧いただけます☆

 

 

好きなことを追求できる時期だからこそ(3)【25回生 高橋史生先輩インタビュー 最終回】

 

 

第1回インタビュー、ぜひ最後までお楽しみに♪

 

 

 

 

 

51回生 皇月ノエル